■食べるために働くのか。働くために食べるのか。という命題は
よく語られます。前者の場合、食べることが目的となり、働く
のは手段となります。後者はその逆。考え方は人それぞれです
が、考え方次第で目的と手段が入れ替わることがあるようです。
まあ上述のものに限らず、世の中には目的と手段が溢れている
わけですが、今回はそんなお話しを少し。
それではどうぞおたのしみください。
_____________________________
■目的と手段
先日、NHKの「クローズアップ現代」という夜7時半からや
っている番組で、SANAAのお二人がクローズアップされて
いた。昨年、建築界のノーベル賞と呼ばれるプリッカー賞を受
賞された妹島氏と西島氏による事務所名がSANAAである。
いつぞやのコラムでも書かせていただいた。
恐らく、一般の方にも馴染みのある代表作品は「金沢21世紀
美術館」になるかと思う。
そんな番組を見て感じたことを書いておきたい。全くの主観で
あり、的外れかもしれないが。
このお二人に限らず言えることかもしれないが、強く感じたの
は、「建築を創り出すこと。設計すること。それ自体を目的と
はしていない。」ということである。建築家が建築設計を目的
としていない、とは余りにも逆説的だと思われるかもしれない
が、書いている本人は逆説を語っているつもりは毛頭ない。
あくまで、建築を創造/設計することは手段なのだと思う。多
分。
つまり、目的は他にある。建築を通して、人と人との関係性を
より良いものにしていきたい。とか。賑わいを発生させて、地
域を活性したい。とか。人が集まることで新たなコミュニティ
の在り方を引っ張り出したいとか。感動を与えたいとか。モノ
の大切さを認識し直して欲しいとか。
感動を与えたい場合。例えば、建築という手段の他に音楽だっ
たり小説だったり映画なども「手段/媒体」として挙げられる
かもしれない。音楽家はメロディやリズムやハーモニーといっ
た事象を駆使して、何かを表現する。小説家なら、単語の選出
や文章構成、表現方法などの技術面はもとより、話しの流れや
登場人物の言動・気持ちの動きなどを通して、何かを表現する。
同じように、建築家は空間構成や開口の位置、高さ方向の操作
はもとより、外部との関係性、仕上げ素材、利便性などを通し
て、何かを表現するのだと思う。
建築や空間を創ること、それ自体が目的となった場合、なんと
なくだが、内に閉じたというか、自己完結型というか、ステレ
オタイプ的というか、あまり発展性の望めない「空間」が出現
して終わり、のような気がする。
そうではなく、その先。空間のその先に、目的を埋め込むこと
で、出来上がった空間には、物理的な空間尺度に納まらない「
何か」が出現するのだと思う。
その「何か」こそが目的であり、そうなってはじめて建築が「
手段」になる。
そんなことを、冒頭の番組を見て思った。
住宅なら、そこで生活する。生活するだけなら、必要な機能さ
え備わっていれば、それで事足りるわけである。そうではなく、
家族同士の繋がり方とか、地域との繋がり方とか、その中で繰
り広げられる出来事や会話、その中から見える風景などにまで
思いを馳せて、思いを込めた空間にすること。その空間により
生まれる、寛ぎの時間や団欒の仕方など。そういったものに目
的を置くと、やはり必要な機能が揃っているだけでは、目的は
達成できないのだと思う。
建築家は、建築を創ることを目的としていない。とは、そうい
うことである。
_____________________________
■編集後記
いやいや、建築を創るのが目的に決まってるじゃない。と
SANAAのお二人に言われてしまえば、それまでです。
が、お会いすることもないので、言われることもありません。
しかし個人的には、建築を創ることが目的ではないほうが
絶対楽しいと思いますし、自由な発想ができるように思います。
その目的を建築に落とし込んでいく。目的が達成できるかを
考える。目的を達成する手段を考える。思考の順序を変える
ことで、今までになかったものが生まれる気がします。
_____________________________
■発 行:空間工房 用舎行蔵 一級建築士事務所
? (くうかんこうぼう ようしゃこうぞう)
住 所:〒602-0914
京都市上京区室町通り中立売下ル花立町486
連 絡 先:TEL/075-432-3883 FAX/075-334-8051
H P:http://yosyakozo.jp
E-mail:info@yosyakozo.jp
目的はひとつ。
手段は百通り。
td> |