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11.04.25 Monday

文化財マネジャー受講記録(8)

■建物を残す大切さと大変さ。どちらにしても覚悟が必要です。

 残す覚悟。壊す覚悟。どちらにも膨大なエネルギーが必要。

 なのだと思います。たまたま「建物存続か否か」の時代に

 巡り合わせてしまった運。というのもあると思います。

 決断は先送りにする。という決断もまた、あります。

 決断は自分の世代がする。という決断も、あります。

 正解のない問題を突きつけられた状態であるだけに、その

 決断が正しいか否かは、当の本人ですら分からないのが実際
 
 のところだと思います。でも、決断を下すという選択は、誰

 にでも出来るものでもありません。運命。という一言に逃げ

 るのは本意ではありませんが、ひとまず逃げます。

 ということで、今回は築100年を超える京町家のお話し。

 それではどうぞおたのしみください。

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■文化財マネジャー受講記録(8)

 最近のコラムタイトルは最後の数字が一つづつ上がっていく。
 という変化しか見られない。というわけで引き続き、第8回目
 の受講記録備忘録である。

 前回は二条城の見学を通して文化財を考える。というか、実際
 の文化財を肉眼で見る。という感じの内容であった。

 今回は、今後(将来)文化財に登録されるかもしれない建造物
 や既に文化財登録されている建造物を自らの眼で見て、寸法を
 測って、所有者から建物の経歴を聴いて、評価を下す。という
 実に実務的な講義というか実地内容であった。

 基本的に、作業が伴う内容は受講者40名を5名づつ8班に分
 けて実施される。そして、今回の対象建造物は4軒。2班で1
 つの建造物を調査するという感じ。

 対象建造物4軒の顔ぶれは次の通り。

 「下京区の和田家住宅。国登録文化財」「北区の櫻谷文庫和館。
 国登録文化財」「左京区の岩倉具視幽棲旧宅。史跡」そして「
 下京区の遠藤家住宅。文化財指定などは、なし」

 最後の遠藤家を除き、結構有名な建造物である。勿論、文化財
 指定を受けているものもあるので、具体的に測量したり所有者
 の話しを聴くという体験が出来るのは、受講者全員にとって願
 ってもないチャンスでもある。

 なので、各班の希望は有名どころに集中する。岩倉具視旧宅な
 んて倍率は凄いことになっていた。

 で、私達の班が選んだのは迷わず無名な「遠藤家住宅」。え?
 なんで?と思われるかもしれないが、私達なりの戦略は、こう
 だ。

 兎に角、現存の京町家を調査したい。和田家は既に調査が嫌と
 いうほど成されている。であれば、残るは遠藤家のみ。私達が
 最初の調査班になろうではないか。

 ま、予想通りすんなりと、他班と競合することもなく決定。め
 でたしめでたし。

 と言うわけで、行って来た。調査に。

 明治36年の竣工というから、実に築110年余りの京町家で
 ある。まあ、京丹後にお住まいの世界最高齢ご長寿の114歳
 の方には届かないが・・。で、屋敷構えは典型的な表家造り(
 道路側に店舗棟・奥に居住棟)。ザ・京町家!という佇まい/
 趣。通りニワは、大概の町家と同じく、床が敷かれて、キッチ
 ン然としてしまってはいるものの、縦格子・坪庭・中庭・蔵な
 どそれ以外の保存状態は良好。

 この調査の、ほんの2日前に、現在実施設計進行中の京都市Y
 邸の調査をしたばかりなので、測量などは至って順調。

 図面が出来たら写真をバシバシと撮って、所有者の方からこの
 住宅の来歴や改修履歴などをお伺いして、表面からだけでは分
 からない、空気感というか時間/歴史の蓄積などに触れつつ、
 文章にまとめていく。測量内容を図面化・写真をキャプション
 付で整理・調査票に文章でまとめる。これらを一つのファイル
 にまとめて、一つの演習課題が完了する。予定である。

 文章でまとめる内容は「名称」「所在地」「由緒・沿革」「建
 築年代」「立地環境・屋敷構え」「構造形式」「復元的考察(
 改修履歴)」「保存状況」。これらは、あるがままに記録して
 いけば良いので、比較的記述しやすい。だが最後に「特徴・評
 価」を記載する欄がある。これが、厄介と言えば厄介。逆に言
 えば、主観交じりの下手なことは書けない。でも書かなければ、
 一枚の調査票として役割を果たさない。

 まあ、これは今後提出までじっくりと考えて書くしかない。

 が、このコラムでは特に深く考えず、主観を大いに交えた「特
 徴・評価」を書いてみたい。

 表屋(ミセの間)に一旦入り、玄関前の坪庭へ。丁度雨が降っ
 ていたので、露天の坪庭には雨が降り注ぐ。傘を閉じて中に入
 り、また傘を広げる。という感じ。その坪庭にはカラ井戸が設
 えられている。お茶(藪内流)の世界にも精通されていた、当
 時の建築主が、お茶室的造作を好んで取り入れた名残か。この
 坪庭が表の坪庭。玄関を挟んで、奥にも坪庭がある。つまり、
 玄関は坪庭(屋外)に挟まれるカタチ。表の坪庭に立った時、
 玄関を介して奥の坪庭が見えるという贅沢。いや、もてなし。

 視覚的には「もてなし」なのだが、機能的には、この「息抜き」
 がないと、裏の居住棟に光と風が入らないので、この坪庭の存
 在は必然。なくてはならない存在。

 そこを視覚的にもてなす空間とするのが、住まい手の遊び心で
 あり、知恵である。

 敷居から鴨居までの高さは、約1710mm。今の住宅が、最低でも
 2000mmは確保することを考えると、非常に低い。なので、気を
 抜いたら本当に頭を打つ。カメラを構えて良いアングルを求め、
 後ずさりすると、後頭部を打つ。したたかに打つ。というか、
 打っている他班の方がおられた。笑った。笑っちゃいけない。

 建物の基本単位は京間なので、1m弱。現在の一般的な住宅の
 基本単位が約900mmであることを思うと、10cm程大きい。この
 10cmの積み重ねは、広い部屋になるほど、威力を発揮する。

 例えば8帖間。現代なら一辺が約3600mm。京間だと約3900mm。
 その差30cm。本棚程度の奥行き分広いわけである。

 この住宅に限らず。なのだが。

 で、坪庭に面しているのは玄関と勝手口。来客用と家族用が自
 然に分かれている。今の住宅でも、あれば便利なプラン構成。
 玄関から入ると、一方はミセの間。もう一方は居室棟へと続く。
 次の間・仏間を通って、座敷へ。座敷からは中庭が見える構成。
 これまた、ザ・京町家!的な構成。

 廊下は殆どない。代わりに、居室を抜けねば、次の居室には行
 けない動線。少し不便だが、無駄がないといえば、ない。

 勝手口から入ると、そこは昔のおくどさん。いわゆる、だいど
 こ。今やシステムキッチンが鎮座しているが、昔はここでカマ
 ドに火を入れて、料理をしていた。完全な土間空間。冬は寒い。
 この通りニワは、通常煙を逃がすため上部が吹抜けとなってい
 る。これまた寒くなる要因である。それを思うと、現代は良い。

 通りニワは、奥の庭まで土足で抜けられる。この土間に面して、
 食事室があり、居間がある。

 2階への階段は2つ。縦長の敷地なので、2つあった方が単純
 に便利だし、万一の火事の時にも2方向避難が確保されている
 ので、安心。日常的には、1階にあるトイレへの動線として、
 他の部屋を通ることなく行けたりする。さらに、2階が正式な
 座敷として作られている場合、食事や飲み物を運ぶサービス動
 線としても生きてくる。

 ちなみに、2階を正客を迎える場として設えることは決して珍
 しくはなかった。2階の方が見晴らしも良いし、日当りも良い。
 まあ、周囲が開けている土地柄であればワザワザ2階に客人を
 迎える必要などないのだが、京都のように密集した住宅地なら、
 2階客間は有効なのである。

 昔の人は、兎に角客人用に一番良い部屋を確保した。そこで冠
 婚葬祭を行なう風習/習慣があったからという要因もあるだろ
 うし、そういう間取りが常識だったというのもあるだろう。

 時代は変わる。今では、普段の生活の場が「明るく・心地良く」
 というのが主流。昔の人が見たら、きっと驚くだろうが。

 ・・・まだまだ書くべきことは多くあるが、長くなってきたの
 でまたの機会にしたい。

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■編集後記

 本文が意外と長かったので、この後記は短く納めます。

 古い建物には重みを感じます。もし、現代の軽い感じの建物
 
 が100年残った場合、同じく重みを感じることになるので

 しょうか?世界最高齢の方に聞いてみたい気分です。昔から

 京町家は重い感じだったのでしょうか?と。
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 建物は風景を創る。
 同時に歴史を創る。

コラム | by muranishi | comments(0)

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