■ルビンの壷をご存知の方は多いと思います。白地に黒の壷が描
かれていて、「壷」に見えたり「向かい合った人」に見えたり
するアレです。これは、1915年にデンマークの心理学者である
ルビンが発表した「図地反転図形」と呼ばれるものです。
普段「図」として認識しているものも、時代によっては「地」
だったかもしれません。さて何のことでしょう?
というわけで、今回は図と地について少し。
それではどうぞおたのしみください。
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■「図」と「地」
なんらかの形として認識できるものを「図」と呼び、その背景
となるものを「地」と呼ぶ。
これはゲシュタルト心理学などで広く認識されている概念であ
る。
例えば、地図を見るとき、建物が「図」となり、道路が「地」
となるのが一般的である。しかし、良い都市は道路を「図」と
して認識できると言われている。らしい。
「図」だの「地」だの普段聞きなれない。
なので、分かりやすく言う。
今読まれているこの文字が「図」。白の背景が「地」。である。
さて、今回はそんな「図」と「地」の観点から少し書いてみた
い。
例えば、京町家がダダダっと並ぶ街並みに於いて、京町家その
ものは「地」となる。
しかし、同じ京町家でも、周囲をマンションやビルに囲まれた
瞬間、「図」となる。つまり、ビル群が背景となり、京町家が
周囲から浮きはじめる。
こう考えると、「街並みに調和する」という意味を良く考えな
いといけないことに気付く。
つまり、例えば京町家を残すべき対象だと考えた時、残された
京町家を周囲のビルやマンションに合わせるのではなく、周囲
のビルやマンションが、京町家の雰囲気に合わせる必要がある
ということである。
「図」になってしまった京町家が悪いのではなく、「地」を保
てなかった周囲が悪いと言える。
なので、景観条例では少しでも「地」を取り戻そうとしている
のだと思うし、あるべき「地」の姿を示しているのだと思う。
さて、それでは一般的な住宅街や地方都市のあるべき「地」の
姿とは何なのか。
現状で言えば、新興住宅街などは特に、ハウスメーカーや建売
の住宅が「地」を成している。或いは、マンションやアパート
が「地」を形成している。
その「地」のあり方が正しいか否かは誰にも判断出来ない。
では、誰があるべき「地」の姿を形成するのか?
あくまでも仮説であるが、その地域に於ける優れた「図」が形
成を先導するのだと思う。「優れた」というのにも判断基準が
ないのだが、多くの人が「あれ、いいね」と言うような建物。
周囲の「地」が変貌を遂げて、「図」だったものが「地」にな
れたとき、それがあるべき姿。と言えるのかもしれない。
そのようにして成長を繰り返す街並みの行き着く先が、成熟し
た都市風景であり、何代にもわたる世代が創り上げた地域住民
の結晶とも言える。
ともすれば、私達の設計する建築は周囲から浮く。特に新興住
宅地に於いて。
つまり「図」になってしまう時がある。
もし、周囲の方が認めるものなら、その「図」が地域を先導す
るのだろう。
しかし、単純に「浮いている」だけの代物ならば、周囲に良い
影響は与えないのだろう。
設計者である限り、前者を目指すのは当然である。
まあ、常に「図」である必要はない。成熟した風景が周囲に広
がっているのならば、絶対に「地」に徹するべきであると考え
る。
「図」と「地」を使い分けながら、私達は設計をしているのか
もしれない。時に優れた「図」となるべく。時に優れた「地」
を維持すべく。
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■編集後記
京町家も、いきなり京町家ではありませんでした。
それは、いくつもの時代や歳月を経て辿りついたカタチとされ
ています。いつの日か「図」だったものが「地」となり、そし
てまた「図」となる。という感じでしょうか。
しかし、優れた「図」は「地」たるべきだと思います。
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時に風景が「図」になればよい。
その時、建築は「地」でよい。
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