■社会が形成される前から存在していたもの。それは「個」と
いう人間だったりします。
都市が形成される前から存在していたもの。それは「個」と
いう建築だったりもします。
都市の姿を建築の観点から見ていこうというシリーズを隔月
で書いております。
と言うわけで、今回はそのシリーズをお届けします。
それではどうぞおたのしみください。
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■都市を解体する~2010.11~
今シリーズの第4弾である。
前回は都市縮小を論点に話しを展開してみた。ただ、建築的見
地というよりは、都市計画的見地での内容だったので、今回は
改めて建築的見地から都市縮小を捉えていきたいと思う。
都市縮小とは文字通りの意味である。まあその辺りの詳細は前
回のコラムに述べているので、ここでは割愛する。
さて、都市縮小。
容積率・建蔽率の低減操作や緑地率の導入を行なった先に、緑
が点在する都市風景が展開すると仮定する。少なくとも、現在
の都市を構築している要素としての建築の高層化・高密度化に
歯止めが掛かったと仮定する。
個人的に、都市の高層化や高密度化は不要とは言わないが、望
ましいとも思っていない。高層化によって、建物の足元に公開
空地が出来るではないか。という反論もあるかと思う。限られ
た土地を容積目一杯使うことこそが経済効率的に言って優れて
いるのだ。という反論もあるだろう。それは理解できる。しか
し、理解できるのと、納得するのとでは大きく違う。私は納得
できない。なので望ましいと思わない。
なぜか。
たまに地方の駅前に、不釣合いとも思える高層ビルなりマンシ
ョンが建っているのを見掛ける。ニョキッと言う感じで。
あの違和感は一体何なのだろう。いや、高度な技術のシンボル
だとか、ランドマークだとか、見晴らしが良いとかはどっちか
と言うとどっちでも良い。建てる際には、それこそ様々な検討
がなされたと思う。ただ、建った後の検討はなされたのだろう
か?続いて2棟3棟と周りに建ち始めれば、ひとつの風景とし
て違和感はなくなる。という方も居られるかもしれない。が、
ニョキッと感が一つだろうと集合体だろうと変わらない気がす
る。
高層建築は議論の対象になり易い。京都で言えば、京都タワー
やホテルオークラなど。他の都市から言えば、どこが高層?と
いうレベルの高さでも世論の議論が渦巻いた経緯がある。まあ
京都の場合は、寺社仏閣のスケール感に合わないとか、境内か
ら近代的な建築物が見えては台無し/興醒めだとかの理由で、
高いものは悪、という意識が働く。が、京都以外ではどうなの
だろう?あまり、高層化が悪という風説を聞いたことがない。
ただ、一方で都市風景の行き着く先として、高層化は避けて通
れないような気もする。何の規制もなければ、東京やニューヨ
ークはもとより、上海やドバイなどを例に挙げるまでもなく、
高層化してナンボ。という風潮すら覗える。
地方都市の一本の高層建築。これは現在の大都市の高層建築群
という風景を遡った先に見えてくる風景かもしれない。即ち、
高層が街並み化する前の原風景。
横に広がれないから縦に伸びる。効率が良くないので縦に伸び
る。まあ理由は色々あるのだろうが、そんな高層化に歯止めが
掛かったと仮定しよう。
集積され、密集した街のあり方が「便利」だから、都市は過密
するのであれば、一旦歯止めが掛かったところで、再び高層化
なり高密度化の途を辿るだろう。
しかし、経済的/コスト削減のため「仕方なしに」若しくは「
対抗措置」として、都市が過密してきたのであれば、別の可能
性を提示することで、歯止めは永久に有効に働くだろう。
その「別の可能性」こそが、都市縮小なのだと思う。
そもそもコミュニティは人数が少ないから成り立つ。ような気
がする。いきなり話しが飛んだ。
町内にマンションが建ったら、今まで10世帯でのコミュニテ
ィだったものが、突如100世帯になってしまった。スペース
がないので町内会を開くことすら出来ない。とか。新参者対旧
知の仲間という構図とか。
でもって、町内的な中間ボリュームがすっ飛ばされて、都市と
個人がダイレクトに繋がらざるを得ない感じになり、コミュニ
ティが希薄になり、隣人の顔すら知らないことになり・・。
隣人同士の繋がりが希薄になることで、地域/地元を代表する
意見というものが形成されず、分断されたコミュニティに大資
本が投下され、ますます分断化され、資本による統一的都市形
成が、都市風景の均質化を生み出す。その繰り返し。地方も同
じ原理が働き、結局金太郎飴的都市風景が広がるのみ。
まあ、適当で大雑把なイメージだけで書いているが、個人的に
はそのように感じる。なので、都市縮小により生まれる/復活
するコミュニティという組織/繋がりを持って、再び伝統とい
うか地域特性というものが形成され始めれば良いなと思う。
建築とコミュニティの関係を述べることは建築に於いて、結構
頻繁に成される。
コミュニティは消えた。とか、建築にコミュニティを求めるの
は不可能だ。とか、消極的意見は良く耳/目にする。
建築がコミュニティをダイレクトに産むのは、確かに困難かも
しれない。それは建築単体で捉えるからかもしれないし、建築
ありきのコミュニティと言う捉え方をしているからかもしれな
い。
建築なんてなくてもコミュニティは形成されるし、コミュニテ
ィと建築の間には、そもそも繋がりなどない。とも言える。
ただ、都市はコミュニティも包括していると思う。
コミュニティが有する力。それは人間が持つ力だと思う。
都市を形成しているのは建築ではなく、「人」と捉えることが
必要かもしれない。
次回のシリーズでは、コミュニティと都市との関係について考
えてみたい。
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■編集後記
一番最初に訪れた高層ビルは、新宿の住友ビル(三角の)だっ
た記憶があります。中学時代に筑波博で家族旅行に行ったつい
でに訪れました。その高さに、ただただ圧倒され、東京の凄さ
を思い知った瞬間でした。
高層ビルは凄いと思います。それ以上でもそれ以下でもありま
せんが・・。
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■発 行:空間工房 用舎行蔵 一級建築士事務所
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高さを競うことで技術は進歩します。
低さを競うことで都市は進歩するかもです。
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