■先日、新聞で「元気」をテーマにした広告賞の受賞作品が掲載
されていました。
「なるほどな~」と感心するものや、「うまい!」と唸ってし
まうもの、じっくりと読ませるもの等など、流石にいずれも秀
逸な作品ばかりでした。
その「一枚」に行き着くまでにどれほどの思考が繰り返された
のか、聞いてみたい気もします。
そんな感じで、今回のコラム。
それではどうぞおたのしみください。
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■思考の終焉
今まで、住宅の思考「過程」という題目でコラムを何本か書い
ている。
これは主に、ある住宅のプランニングの過程にスポットを当て
て書いたものである。
そこで一つ、素朴な疑問が浮かんできた。
何をもって、思考が終焉若しくは収斂或いは帰結するのか。
時間/締切りという凄く分かり安い尺度もあるにはあるのだが、
もしそういった外的制約が全くない場合、何をもってその思考
を終えることが出来るのか。
自分が納得いくものが出来た時に終わりは告げられる。
この納得の仕方が大事である。
まずクリアしなければならないは、お施主様のご要望。これは
大前提である。そして、その要望の紐解き方というか、その要
望の裏に潜んでいるであろう要望を炙り出すことも同時に行な
わなければならない。
そんなこんなで例えばプランAが出来上がったとする。
要望が空間に整理/反映されたものとする。
そこで自分が納得出来なければ、引き続き思考は続けられる。
では、納得できる基準というか軸は何なのか。
私の場合、というか私の場合しか知らないので他の人の場合は
書きようがないのだが・・、ということで私の場合。
上手く納まった感じ/状態「だけ」ではNG。明確に訴えかけ
る何かが分かる状態になってはじめてOK。といった感じであ
る。
まあそれが気に入って頂けなければ、結局はNGなのだが。
一旦出来たものを眺めてNGだった場合、構成要素をバラバラ
にしてみたり、ひっくり返してみたり、空間のシーンを描いて
みたり、色々する。というかモガク。あがく。
それでも簡単に納得のいくものなど生まれない。生まれる場合
もあるが、生まれないときはとにかくモガクしアガク。
そのモガキとアガキの先に思考の終焉がある。
納得のいく状態が生まれたとき、「なんとしても建てたい」「
なんとしても実物を見たい」という強い思いが生まれる。その
思いこそが、建築を最後/完成まで引っ張り続ける力の源とな
る。この原動力があるからこそ、様々な困難や壁を乗越えられ
る。のだと思う。
図面が出来た先に、未だ見ぬ建築は幻想の中にある。
その未だ見ぬ建築の姿を見るまでは、手を抜けないし気も抜け
ない。
結局は、一つの建築が出来上がりを迎えるということは、最初
のモガキとアガキの末に生まれた「強い思い」に支えられてい
るのかもしれない。
思考の終焉とは脱力ではない。活力なのである。
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■編集後記
今ではその機能はなくなりましたが、昔のCADには、その
図面に掛けた/掛けている時間を表示するというコマンドが
ありました。要は時間の蓄積/累積を示すというもの。
それがあった時代は、結構勝手にプレッシャーを感じていた
記憶があります。
こんなに時間を掛けているのに、描けているのはコレだけ?
みたな感じです。
なぜそのコマンドがなくなったのかは不明ですが、当時なぜ
そのコマンドを作成/プログラムしたのかも不明です。
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■発 行:空間工房 用舎行蔵 一級建築士事務所
(くうかんこうぼう ようしゃこうぞう)
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時間を掛ければいいってもんでもない。
時間を短縮すればいいってもんでもない。
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