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10.09.08 Wednesday

建築に何が出来るか?(3)

■1970年代、見るべきものも接点を持つべきものも今の都市

 には何もない。だから都市に向かって閉じる。内に向かって開

 く。という住宅が世間を賑わしました。

 高度成長に伴い発展/膨張を続けた都市の姿に辟易とした建築

 家が出した批判的建築ケース。社会への提言。そんな時代でし

 た。

 では、現在の都市はどうでしょうか?そして現在の建築はどう

 でしょうか?

 そんな観点も踏まえまして、今回のコラムです。

 それではどうぞおたのしみください。
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■建築に何が出来るか?(3)

 今回は、何が出来るかシリーズの第三弾を書いてみたい。

 前回のまとめは、建築が通りなり地域に対して、もっと開いて
 いけば、街並みにも変化が生み出せるんじゃないだろうか的な
 内容だった。そして、現在の閉じられた建築が生み出された根
 本はどこにあるのかを探りたいとも書いた。

 そう、近代の「都市」住宅は一般的に閉鎖的な表情を通りに対
 して向けているように思える。その理由は何か。防犯面やプラ
 イバシー面を考慮した結果、そのような佇まいになっていった
 のではないかという、凄く一般的な仮説を立てた。

 そして最近、とある本にヒントが書いてあった。その辺りも交
 えて、まずは書き進めたい。

 「もう戦後は終わった」。これは1955年の日本経済白書で
 宣言された言葉である。終戦からわずか10年目の年のことで
 ある。この年に住宅公団が発足した。目的は、住宅不足の解消。
 戦争により失われた住戸数を確保するという国家戦略のもと、
 立ち上げられた。それに先立ち1941年、戦時体制下では住
 宅営団が発足している。これも住宅不足を解消するべく、大量
 生産による住宅供給を国が先頭に立って行なうというものだっ
 た。

 そして編み出されたのが、2DKという住宅タイプ。2つの私
 室と台所と食堂から成り立つモデルである。なぜ2つの私室な
 のか。これは、「当時」のモデル家族として、夫婦+子供1人
 若しくは2人の4人家族を対象としている。夫婦で1室。子供
 で1室。合計2室。そして、寝食分離と就寝確保の観点をクリ
 アすることを最低限の目的としている。これを公営の51C標
 準プランと呼ぶ。

 当初の目標生産戸数は60万戸。しかし実際には半分の30万
 戸の建設に留まる。依然として住宅不足は解消されない。

 2DK発案当初、子供が増えれば引越しして、3DKや4LD
 Kに引越せばよいという前提があった。そのため、あくまでも
 応急措置というか、仮暮らしの器としての2DKだった。しか
 し、目標の半分足らずの建設しか成されないため、結局供給不
 足となり、引越そうにも引越し先すらない状態。仮暮らしのつ
 もりが、永住という悲惨なカタチとなった。

 住宅不足はなぜ起こったか。それは人口が爆発的に増えたから
 である。いわゆるベビーブーム。今の団塊の世代の方々が大き
 く関与している。合せて、核家族化。大家族で構成されてきた
 社会モデルが崩壊し、家族が分散することによる住宅不足。

 51Cモデルである2DKの特長は、それまで家長が滞在する
 空間が世間との接点であったプランから、ダイレクトにDKに
 アクセスするプランに変貌している点が挙げられる。即ち、社
 会との接点が、家長という家族代表を介さずに、家族にダイレ
 クトに接するプランとなっている。そしてこの思想が、民間の
 マンションデベロッパーにまで深く浸透することとなる。

 いわゆるnLDKのプラン展開。因みに、nLDKを最初に唱
 えたのは、磯崎新氏である。30年ほど前の記述として「住宅
 建築は色々新しそうなことをやっているけれども、所詮リビン
 グルームとベッドルームの組合せで出来ているに過ぎないでは
 ないか」とある。nは寝室の数。それにLDKがくっついたの
 が住宅。という理論である。

 話しが逸れたが、nLDKの構成。社会とダイレクトに接する
 プライベート領域。その形式が一般住宅にも浸透し、「個」の
 領域を守るべく、「公」の領域から背を向けるという流れに至
 ったとする理屈。結果として誰も公に開かない街並みの確立。
 さらに閉じる方向へ、という極端なモデルケースも発表され、
 万人とは言わないまでも、ある程度の無言のルールへと行き着
 いた感がある。

 なので、いきなり都市に対して開きましょう!と言ったところ
 で無理っぽい。少なくとも約50年の月日を経て、閉じる方向
 へと向かってきたわけなので。

 開くには、何か確固としたシステムなり、賛同を得られるモデ
 ルケースなりが必要となる。そして同時に、「住宅」という領
 域が持つ概念の変換も必要だと思われる。

 なんだか抽象的過ぎて、具体性を伴っていない内容なので、も
 う少し噛み砕く。

 都市に対して閉じられた建物の連続というのは、防犯面やプラ
 イバシー面を考えれば、尤もなことではある。開放的過ぎると、
 帰って見ている側が恐縮してしまう。しかし、人の気配が感じ
 られない街並みは、どこか寂しい。例え開放的であっても、そ
 こに人が存在していない限り、その寂しさ加減は同じだと思う。
 むしろ、余計に冷たい印象を受けてしまうかもしれない。

 建築とは、人が使ってナンボの世界である。「人」という実体
 が必ずしも見える必要はなく、光が漏れてきたり、声が聞こえ
 てきたり、といった間接的な実体でも気配を感じることは可能
 である。そんな気配が垣間見える状態から始めていけば、徐々
 にではあるが、開放的な住宅の姿に近付いていけるのではない
 かと思う。

 そしてもう一つ。縁側的な領域が都市と建築の間に介在するだ
 けでも、まちの風景はガラリと変わるのではないかと思う。勿
 論、そこには「人」同士の溜まりが発生する必要があるのだが。

 大前提として、社会は個人や家族単体で成り立っているのでは
 なく、その集合体で成り立っている。だからこそ、プライベー
 ト時間は社会と繋がりたくないし、一人でホッとしたいという
 人も勿論居るだろうし、ひょっとするとそれが大半を占めるの
 かもしれない。

 しかし、ちょっとした「繋がりの場」がまちのアチコチに発生
 すると、それはそれで便利/快適かもしれない。世代を超えた
 交流の場だったり、同じ環境を有する者同士の交流の場だった
 り、異業種の交流の場だったりといったものは、何も特定の場
 所で特定の主宰者が先導して行なうものでもない気がする。ス
 グソコにある場という方がとっつきやすいのではないだろうか。

 「公」の場とは、実は「個人」の集まりである。

 「都市」とは、実は「建築単体」の集まりである。

 であれば、閉じることよりも開くことで得られるものも多いよ
 うな気がする。何も全開にする必要などはない。防犯やプライ
 バシーを確保しつつ開ける範囲、繋がれる範囲が連続し始めた
 とき、まちなみは変わると思う。
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■編集後記

 積極的に開いていこうとする建築も最近では見かけられるよう

 になりました。しかし、それはまだごく一部に過ぎません。

 群集心理としまして、それが主流ではない以上、現状維持とい

 う方向に流れるのが世の常かもしれません。

 何年スパンで建築の潮流が変わるのかは知りませんが、明らか

 に50年前の建築と今の建築では変化をしていると思います。

 それは変化であって、進化と必ずしも同義ではありません。

 建築の進化とは、何でしょうか?私はプログラムだと思います。

 プログラムとは、概念と置き換えられるかもしれません。

 新しい概念がプロトタイプとして編み出された時、nLDKは

 過去のものとなるように感じています。

 それが何かはまだわかりませんが・・・。

コラム | by muranishi | comments(0)

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