■養老孟司さんが新聞のコラムで述べていました。
「今の若者は、仕事が自分に合っているかどうかという観点
で仕事を選別している。本来仕事とは、好き嫌いというレベル
で選ぶものではない。」と。
さらに、別の本ではこうも言っています。
「仕事とは社会に空いた穴だ。放っておくと皆がつまずいて
危険。だから誰かがその穴を埋める。すると平らになって皆
が歩きやすくなる。」と。
賛否両論あるかもしれません。
皆さんは「仕事」って何だと思いますか?
今回はそんなお話しについて少し。
それではどうぞおたのしみください。
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■設計事務所の使命
うわっ!なんか大風呂敷を広げたタイトルに自分でも驚いた。
まあ、いい。広げたんだから書いていこう。という軽い気持ち
で書いていきます。
それぞれの仕事にはそれぞれの使命があると思う。そもそも「
仕事」とは何か?良い機会なので(何が?)独立当初の私達の
ことを書いてみる。
過去のコラムにも書いたことと多少重複する。が、多分殆どの
人は覚えていないと思うので、心置きなく重複させる。何せ書
いてる本人が覚えていないのだから。
独立と一言で言っても、そこには独立した人しか分からない「
不安」と「期待」が7:3位の割合で潜んでいる。じゃあ独立
しなけりゃいいじゃない。という意見もあるかと思う。でも、
そこには「独立したい気持ち」と「会社で居続けたい気持ち」
が10:0位の割合で潜んでいる。なので、独立するのに迷い
はない。ただ、不安が払拭できないだけである。
独立当初、仕事もないのに何をやっていたのか?兄からは「事
務所で寝てるだけちゃうの?」などとズバリ・・あ、ちがう。
失礼なことを言われたりもした。勿論、冗談口調ではあるが。
実際は当時から流行りはじめたコンペサイトなどを見ては、プ
ランを考えて応募を繰り返していた。応募者は多い。でも実際
に選ばれるのは、たったの1案。なので確率は極めて低い。
でも出す。なぜなら、仕事がないから。
そんな日々の繰り返し。出しては落選。出しては落選。たまに
面接まで漕ぎ着けるものの、やはり落選。
でも出す。なぜなら、仕事がないから。(もういい?)
そんなある日の、相方との会話。
「俺らが今いなくなっても、誰も困らへんよな~?」
「なんか、社会と繋がってる気がしーひんよな~?」
滅茶苦茶後ろ向きな発言/会話である。
「必要とされてるのは、国民健康保険の支払い位。」
「なんか、儲かってもいーひんのに取られる一方やな。」
愚痴ならいくらでも出る。そんな状態。
その時、身をもって感じたことがある。
「社会と繋がりたい。」「誰でも良いから、必要とされたい。」
そう、仕事とは社会と繋がる手立てであり、社会に貢献するチ
ャンスなのだと思う。独立するまでは、それぞれ会社でサラリ
ーマンとして働き、何の疑問もなく仕事をしていた。でも実は、
それは自分じゃない誰かが、若しくは組織が獲得してきた仕事
の一端を任され、社会と繋がっていたことに気付いた。
そもそも仕事とは、上述したような内容なのだと個人的には思
っている。株で一瞬にして大金を稼ぐというやり方を「仕事」
と呼ぶのなら、そんな「仕事」になど興味はない。それで社会
が何か変わるのか?それで社会がよくなるのか?と考えた時、
極めて疑問である。
と、フトここで、ある作家の言葉がヨミガエル。(カエルの一
種ではない。・・わかっている。)浅田次郎氏の言葉。
「仕事に、てめえの命を張っているか?」
恐ろしい一言である。
「医者もシェフも大工も、プロは皆、人様の命を預かって仕事
をしている。仕事とはそういうもんだ。人様の命を預かってい
る以上、てめえの命を張って仕事に取組め」
言っていることは恐ろしいが、多分筋は通っていると思う。そ
れだけの意気込みと迫力を持って仕事に挑めという内容だと解
釈している。当の本人は作家である。命を張る必要などなさそ
うである。でも本が売れなければ、即廃業なので、本当に命を
張っているとも言える。
話を戻す。
そんな一連の「仕事」という概念。仕事とはそういうものだと
思っている。
そして本題へ。(やっと、か)
設計事務所の使命についてである。
どうすれば、建築の設計という行為を通じて社会に貢献できる
のか。それは、お施主様の満足を得るという一つの大前提を通
して、街並みや「住宅」若しくは「建築」という概念とトコト
ン向き合うことだと思う。自分がやりたいデザインだから。と
か。目立ちたいから。とか。斬新だから。とかといった目先/
小手先の取組み方では到底かなわないものだと思う。
私達が出来ることは設計であり、監理である。高々一つの住宅
をつくったところで、街並みなんて変えられないよ。と思って
しまえばそれまでである。だからと言って、今までの設計して
きた建築が、それほどの力を持っているのか?と問われれば、
明確には答えられない。しかし、そのような理念/社会に貢献
したいという理念のもとで設計しているのは事実である。
ミリ単位のコマカーいところも考える。でも都市単位のおっき
いことも同時に考える。それが、設計事務所に課せられた使命
なのではないだろうか。
設計の依頼をしていただける。これは私達にとって、「社会と
繋がっていいよ」と言われているに等しい。そんなチャンスを
通じて、社会に貢献するためには、命を張るほどの全力を掛け
なければウソである。
世の中には色々な人が様々な使命を持って生活を営んでいる。
それぞれの仕事にはそれぞれの使命がある。私達の使命。設計
事務所の使命を考えつつ、これからも設計に取組んでいきたい。
それを社会が許してくれることを祈って。
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■編集後記
なんとも重た~い感じの締めくくりとなってしまいました。
が、たまにはいいと思います。と自己擁護。
仕事とは何か?なんて人それぞれだと思います。若者が好き嫌
いのレベルで仕事を取捨選択するのは分からなくもありません。
好きこそものの上手なれ。という言葉もあるくらいです。
ただ、仕事とは「好きなことだけ」ではないものです。
好きな中にも億劫な部分があったり、不得手な部分があったり
します。でも全てをひっくるめての仕事なのだと思います。
そこで重要になってくるのが、「好き」というだけのレベル
ではない何か。が必要になってくるのだと思います。
まあ全ては個人的意見ですので、聞き流して下さいまし。
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