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10.05.03 Monday

赤プリと歌舞伎座と

■馴染みのお店に久しぶりに行ってみると、なくなっていた!

 という経験はありませんか?

 まあ、馴染みのお店に「久しぶり」に行く時点で「馴染み」

 ではないような気もしますが・・。

 私は結構そんな経験があります。なにぶん古いお店を好んで

 行くものですから。

 さて今回もそんなお話しに絡むかどうか微妙ですが。

 それではどうぞおたのしみください。
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■赤プリと歌舞伎座と

 時代は移り行く。

 あるシンボリックな建築物が消える時、人々は一つの郷愁に襲
 われる。一つの時代が終わったと。

 連日のニュースで「赤プリ」や「歌舞伎座」の建替えが話題に
 なった。

 赤プリ。正式名称はグランドプリンスホテル赤坂。(2007
 年に赤坂プリンスホテルから名称変更になった。)西武系列の
 ホテルである。設計者は丹下健三氏。大学時代の建築の教科書
 ・資料集として購入を指定された「設計資料集成」という本に
 も、確か掲載されていたと記憶している。

 カタチは雁行した40階建ての高層建築物。各界の大物や政治
 家にも利用されてきたホテルとして有名であるだけでなく、バ
 ブル時代には大学生をはじめ、若者にも人気のホテルであった。

 ま、私には全く関係のない場所ではあったが・・。

 プリンスホテルといえば、村野藤吾氏も何棟か手掛けている。
 高輪プリンスや、京都の宝ヶ池プリンスなどがそうである。ま
 あ、都ホテル(現ウェスティン都ホテル)もそうなのだが。余
 談はさておき。

 赤プリ。新館の竣工は1982年。閉館までわずか30年弱の
 命である。赤プリ自体は1955年開業で、1930年竣工の
 旧李王家邸を改装してのスタートだった。これが旧館。この旧
 館は保存される予定である。

 バブルの追い風を受けて建った新館。赤坂のシンボルタワーで
 もあり、近くを走る首都高速から眺めても「ウワッ!」と思う
 ような建物である。(遠い昔の記憶だが)言ってみれば、「斬
 新」なシルエットをしている。

 そして歌舞伎座。現在の歌舞伎座は三代目にあたるらしい。初
 代を設計したのは高原弘道氏。二代目は志水正太郎氏。三代目
 は岡田信一郎氏。その改修を手掛けたのが、吉田五十八氏。ど
 の代の歌舞伎座も瓦屋根を載せた重心の低い(感じのする)建
 築物である。そして四代目を手掛けるのは、今や国内外のコン
 ペを勝ち取りまくっている隈研吾氏である。

 四代目の歌舞伎座も三代目の外観は継承しつつ、背部に超高層
 が控えるカタチとなる。

 かたや赤プリ。どのようなカタチに生まれ変わるのかは未定で
 ある。

 というのが今回の前置き。相変わらず長い前置き。

 そして思うところを少し。

 建築は少なからず時代の波を受ける。資本が集まるところに建
 築も集まる。時にそれらは競い合うように林立する。または乱
 立する。アイコン的建築がもてはやされる時もある。バブル期
 の日本や今のドバイがそうであるように。より高く。より目立
 つように。より主張するかのように。

 そのように投資側が求めるので、建築家はそれに応える。千載
 一遇のチャンスとばかりに周りの建築物よりも目立とうとする。
 実際はどのよな駆け引きが裏にあるのか全く知らないのだが、
 傍観者としては、そう思ってしまうような状況。投資家の考え
 /発言が正しい・正しくないに関わらず、設計者はそれに応え
 るしかないとも思う。

 可能性は限りなくゼロかもしれないが、万一大規模な建築物の
 依頼が来た時、どうするのか?と考える。まあ、宝くじで3億
 円当たったら何に使う?と同じようなレベルの話しなのだが。

 個人的な答えは赤プリよりも歌舞伎座である。

 その時代の羨望の的であるよりも、時代を超えて継承されるも
 の。例え設計した現物の寿命が短くとも、継承に値するもので
 ありたいと単純に思う。老朽化は物質の集合体である限り絶対
 に避けられない。真空状態に置いておくわけでもないので。雨
 も当たれば、風も受ける。地震や災害だって避けられない。

 しかし精神は受け継ぐことが可能である。そのカタチやシルエ
 ットが有する力が時代に流されるものであっては精神の寿命も
 短いように思う。なので、競争の波に勝てない時期が来れば壊
 される。ように思うのである。

 なので、目立つこと。それはあまり重要ではない。人々の心に
 根付くこと。そちらを大切にしたい。

 などと言っておいて、赤プリのカタチがそのまま継承されるこ
 ともあり得るのだが。

 高層化が悪とは思っていない。というかあまり深く考えていな
 い。

 ただ、そんなに高いものって必要?と思っているだけである。
 昔、京都には九重の搭があった。今の京都市動物園辺りである。
 五重の搭でも充分高いのだが、その倍近くである。基本的に何
 重の搭というのは、お墓である。(何か雑学TVで観た話しだ
 が。)いつの時代も高さを求める人はいる。ただ、災害や何か
 で損壊した時に、後の時代の人が復元を求めなかった若しくは
 資金がなかったので、九重の搭は現存しない。

 どこまでを建築家は考えるべきなのか。与えられた使命に応え
 るだけで良いのか。まあ、そんな先のことまで考えたって思う
 ようにはならないのは百も承知である。が、「その先」も考え
 てしまう。その先とは、建物が様々な理由で寿命を遂げた先で
 ある。

 天国の丹下健三氏は何を思っているだろう。

 今回も答えはない。

 時代は移り行くという事実に対して、建築家ができること/し
 なければいけないことを考え続けるのみである。
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■編集後記

 兄が結婚式を挙げた東京の老舗ホテルも以前建替えのニュース

 がありました。自分が結婚式を挙げた場所がなくなるのは単純

 に寂しい気もすると思います。

 因みに私が結婚式を挙げた場所は、上のコラム内のどこかに隠

 されています。(興味。ないでしょ?)

 現存していますので、単純に喜ばしいことです。

 まあ結婚式を挙げてから行ったのは2~3回程度ですが。

 また訪れてみたいと思います。

コラム | by muranishi | comments(0)

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