■個人情報保護法が数年前に施行されました。
いろいろな悪徳商法や詐欺などに悪用されるのを避けるため
必要な法律だと社会が判断した結果だと思います。
プライバシーが保護されなければ、おちおち落着いて生活が
できない世の中になってしまったようです。
プライバシーの保護は、「家の中」にも果たして必要なので
しょうか?
そんなことを考えながら、今回のコラムをお読みいただけれ
ばと思います。
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■気配を感じる空間
設計をしていて、余程「プライバシーの確保」を要望されない
限りは、家族の「気配」が感じられる空間構成を心掛けている。
子供の頃育ったのは、築100年を超えるバリバリの京町屋だ
った。いつぞやのコラムでも書いたとおり、京町屋は夏を旨と
して構成されているため、間仕切りらしい間仕切りは一切ない。
全ての部屋は、襖や障子といった簡易な建具によって軽く仕切
られているに過ぎない。
夏などは襖や障子が簾戸や簾そのものに「衣替え」されるので、
もう「仕切る」という意味を殆ど成していない状態に陥る。
「プライバシー」って何??という状態。
勿論、子供心に、もう少し閉鎖されても良いんじゃない?と思
ったことも少なからずある。
でもそれは、「勉強に集中したい!」などといった殊勝な思い
からではなく、落着いてうたた寝もできないじゃないか。とか。
独自で開発した遊び(ゴルフゲームや野球ゲーム)を勉強そっ
ちのけで興じれないではないか。とか、とかく「サボる」方向
に向けての不満であった。
そもそも独自でゲームを開発している時点で、充分サボってい
るのだが・・。
そう、完全に閉鎖しても、あまり良い方向には進まないのであ
る。これは自らの体験なので断言できる。
今さら強調する必要もないのだが、プライバシーの確保は引き
こもりなどにも通じてしまう危険性を孕んでいる。そして最近
では、「頭が良くなる家」などという魅惑的な謳い文句で「オ
ープン」な間取りの家や家族が自然とリビングに集まる家が紹
介されたりもしている。
「頭が良くなる」かどうかは本人のやる気次第なので、眉唾も
のであるが、「家族が自然と集う」というのは重要かもしれな
い。だって家族なんだもの。(←何かの言い回しのパクリです)
小さい頃の体験や経験・記憶というものは、その後の人生に大
きく影響を与える。なので、私の場合、「プライバシーの確保」
よりも「家族の集い」を重要視してしまう。
気分の悪い時(虫の居所の悪い時)や思春期にありがちな反抗
期などは、特に家族(親)が疎ましく思えるのは、大なり小な
り誰もが経験していると思う。
でもそれは、「かまってくれる」からであって、もし本当に
「かまってもらえない」状況に置かれたら、最初は「やれやれ」
と思えても、一ヶ月もしないうちに「さ、さみしい・・」など
と勝手なことを思ってしまうに違いない。
だから設計の際は、せめて「家族の気配」なり「外部の気配」
なり、「外界と繋がっているんだ」と思える空間構成を可能な
限り探っている。
それは、「吹抜け」を介してであったり「中庭」を介してであ
ったりする。
そうすることで、限られた空間に広がりが生まれ、伸びやかな
印象にもなるものと考えている。
「個」で仕切られた空間構成ではなく「公」に開かれた空間。
究極に目指したいのは、完全な「ワンルーム」住宅である。
これは、密かな企みでもある。
どこまでも広がりのある家。行き止まりのない家。視線が交
わる家。自然と会話が生まれる家。・・素敵ではないか。
決して監視されるというのではなく、お互いの気配を感じて
お互いを思いやる家。
家の構成次第で、精神に与える影響は良くもなり、悪くもな
るような気がしている。
一言で言えば「絆」。である。精神的な。
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■編集後記
「どこに家族が集まるか」は実は重要ではないとも考えてい
ます。普通にリビングやダイニングであっても良いし、キッ
チン・お風呂・子供室など、どこでも良い気がします。
どこかで「ワイワイガヤガヤ」とできる空間があれば、自然
と集まれるのではないでしょうか。
本が好きな家族なら図書室をつくったり。釣が好きな家族な
ら吹抜けから釣竿を垂らしたり。音楽が好きな家族なら、大
音量でも楽しめる地下室をつくったり。
家の可能性は無限大です。その家には、その家族の個性が反
映されるのが一番幸せだと思ったりしています。
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