■最近話題の民泊。国外からの観光客増加に伴いホテルや旅館のベッド数が
足りなくなっていることから、空き家やマンションの一室を旅行客向けに日貸し
するというビジネスが話題を呼んでいます。
京都でも京町家を利活用したひとつのモデルケースとして、数年前からちらほら
と事例が見受けられるようになり、最近では京町家に泊まるための外国人向け
の専用サイトが外国人の手によって立ちあがっていたりします。
京町家減少が叫ばれている中、京町家の未来やいかに?
ちょっと考えてみたいと思います。
_________________________________
■京町家の未来
現在、京都市で宿泊する外国人を国別にまとめた資料が京都市の観光局から
出されている。それによるとダントツの一位は台湾で約50万人。次いで中国の
約25万人。その後アメリカ、オーストラリアと続く。
宿泊者数なので観光客数とは必ずしも一致しない。
ちなみに訪日外国人のトップは韓国で約240万人。内京都で宿泊されるのは
わずか7万人。距離が近いので日帰りなのか、他府県で宿泊されているのかは
不明(調べればわかるのでしょうが)だが、データを検索していくと色々と面白い
ことが見えてくる。
例えば欧米の旅行者はほとんどが個人旅行なのに対し、アジア圏の旅行者は
ほとんどが団体旅行。
例えば日本人で京都に宿泊するのは一泊がほとんどで、二人旅が半数。
例えば50代を超える方が観光客の6割を占め、5回以上京都に訪れている
人はアンケート対象者全員の8割を占める。などなど。
データのどこにスポットを当てるかで認識や見解は変わってくるが、例えば
京町家を残していくというテーマと観光客という要素をマッチングした時に見えて
くるものはないだろうか?と仮説を立てる。
外国人向けであれば、アジア圏を狙うよりも個人旅行者の多い欧米人向けに
和の空間や文化を味わえるように情報を発信するとか、日本人向けであれば
連泊することで体験できる京都の暮らしを提供するとか。
とある旅行の達人が記していた本に、こう書いてあった。
「旅行者ではなく、生活者になることで見えてくることがある。例えば地元の
スーパーで買い物をするだけでも、その地域の日常に触れることができる。」
実は京都人でも体験しつくせない文化や行事がたくさんある。
そんな京都を京町家を拠点に楽しむパッケージを提供することで、日常の
京都に触れてもらえることができるかもしれない。
観光客が増え続ける中で、京都住文化の結晶とも言える京町家に滞在する
ことがメジャーになれば、壊される運命を逃れる町家も増えるかもしれない。
一方で、近隣迷惑となる要素もケアできるシステムをつくっておく必要がある。
今まさに民泊の問題=近隣迷惑が顕在化しつつあるので、問題の芽を摘む
ことが将来のためにも大切である。
そもそも町家を残す必要があるか?というのが常に最初にして最大の疑問
なのだが、私は町家は生活者の長年の知恵が詰まった文化の結晶の一つ
と思っているので、残せるなら後世に残した方が良いという意見である。
しかし、ただ残せば良いというものでもないとも思っている。
一時期はやった町家レストランや町家カフェ。今はやりの町家ステイや
シェア町家。今後はやるかもしれない、シェア町家別荘やシェア町家オフィス。
いずれも町家を残すことに貢献しているし、一定の文化継承にも役立って
いるかと思う。それは本来の使われ方ではないのだけれど、本来の使われ
方では残らない。という証明でもある。
これだけ手を変え品を変え町家ビジネスが生み出されるという背景には
町家への需要があるのだと思う。培われてきた歴史や懐古や憧憬という
カタチには表わせない感情や精神が原動力となっているような気がする。
日本人として文化的価値を町家という空間に見出しているのだろうし
それが海外の人たちにも伝わっているのだろう。
もっと深く考え続けることで見えてくる町家の残し方・活かし方があるよう
な気がする。「あっ!そういう手があるね。」と思えるようなものが。
もう少し熟考したい。
______________________________
■編集後記
町家を残す手法はそれこそ様々な人がいろいろと考えています。
アイデアを実行に移せる人は少ないですが、アイデアを出し合う
場をたくさん設けることは裾野の広がりに繋がると思います。
京町家相談会なども半行政主導で行なっていたりします。
やわらかい頭が必要ですので、学生や子供の意見にも耳を傾ける
と良い案が出て来るのかもしれません。
一見無関係の要素を変えてみることで「結果、町家が残った」という
ような現象が生まれることも視野にいれつつ、考えます。
______________________________
壊すより残す。
残すより活かす。
td> |