空間工房 一級建築事務所

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12.03.27 Tuesday

コミュニティカフェ

■最近、フェイスブックをはじめました。とある友人から進め

 られて。

 そこでは色々な議論・意見が繰り広げられています。

 特にあるメンバーだけが入れるグループに所属すると、へぇ

 そんなことを考えているのか!とか。そんな活動をしている

 のか!と、良い刺激を受けています。

 気軽に立ち寄れるバーチャルなコミュニティの場とも言えます。

 特にフェイスブックの場合、匿名の発言がない上、発言者は

 基本的に自分が知っている人なので、健全です。

 これも新たなコミュニティの場なのでしょう。

 ということで、コミュニティ繋がりのお話しを少し。

 それではどうぞおたのしみください。
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■コミュニティカフェ

 「コミュニティカフェとは、地域社会の中で「たまり場」「居
 場所」になっているところの総称です。

 これは、全国コミュニティカフェ・ネットワーク(コミュニテ
 ィカフェ全国連絡会)のブログに記載されている、「コミュニ
 ティカフェ」の定義である。

 ネットカフェとは全く異なり、地域住民が様々な目的を持って
 集まってくるカフェ的な場と考えればよい。(たぶん)

 他にも、コミュニティレストラン。コミュニティサロン。など
 と呼ばれるものもあり、地域の茶の間的存在とされている。

 ジャンルは色々。

 羅列すると、高齢者福祉関係。子ども関係。ペット関係。環境
 関係。障がい者福祉関係。まちづくり関係。シニア関係。農業
 関係。IT関係。国際交流関係。ホビー関係。音楽関係。アート
 関係。科学関係。などなどえらく沢山ある。

 その中でも「まちづくり関係」のカフェなどは、とあるコミュ
 カフェリンク集によれば全国に55箇所ある。

 これを多いと捉えるか、少ないと捉えるかは微妙だが、個人的
 には(相対的には)けっこう多いと思った。

 まるでコミュニティカフェを熟知しているかのような書き方だ
 が、コミュニティカフェという言葉・定義・存在は今日初めて
 知った。

 なので、以下の文章は全く持って説得力を持たないばかりか、
 正確性にも欠ける。ということを念頭に置いて、読まれる方は
 読み進めていただければ幸いである。

 戦前の「大家族」という社会単位が一般的であったころ、家長
 制度の下、一つの家は主として長男が代々引き継ぐカタチで継
 承され続けた。そこには同時に、代々引き継がれた大家族同士
 のコミュニティも望む望まざるに関わらず、存在していた。
 (たぶん)

 戦後、マッカーサの指導の下、家長制度は廃止される。その後、
 家長の権限もどんどん低くなる。つまりお父さんの居場所が確
 立しにくい状況となる。

 同時に大家族は核家族化する。両親と子供2人といった4人家
 族が標準モデルとなり、税制や様々な制度設計が成される。勿
 論、住宅も、核家族をターゲットに大量生産される。家族同士
 は孤立し、コミュニティの崩壊が音も立てずに地域を呑み込む。

 そして今、東京23区に於いて、世帯数の平均が2人を割って
 いる。上記の標準モデルもとっくの昔に「標準」ではなくなっ
 ている。

 50歳時点での未婚率を生涯未婚率としている日本に於いて、
 約20年後の2030年。男性の生涯未婚率は30%。女性は
 23%となるそうである。

 これは老人が増えるばかりでなく、「孤独」な老人が増えるこ
 とに他ならない。

 数年前に日本の人口は減少傾向に転じたので、これから住宅が
 余り出すとされている。

 だが、おひとりさま用の住宅はご想像の通り、ほぼ皆無。なぜ
 なら、過去の標準家族モデルを目指して創られてきた住宅がほ
 とんどだから。

 これから余り出す住宅は、一人には広すぎる。いや、二人にも
 広すぎるだろう。

 国は来るべき高齢者増加に備えて、必死で老人福祉施設を増や
 そうとしている。少し前まで一人当たり8帖の広さが最低限だ
 ったが、最近の規制緩和では4.5帖~6帖になっているとい
 う。地方自治体により広さはマチマチだが、一人当たりの必要
 確保面積が狭くなっている傾向は否めない。人生を4.5帖~
 6帖の部屋で終えさせる国の施策もどうかと思う。広けりゃい
 いってもんでもないが、狭すぎないか?と思ってしまう。

 一方で広すぎる住宅が余り、もう一方で狭い施設が増産されて
 いる。これが日本の実情である。(たぶん)

 なんともバランスの悪い感じだ。というのが素直な印象。

 同時に正規雇用の若者の割合は減少している。経済的自立が困
 難なため、親との同居を余儀なくされているという状況もある。

 そんなこんなを見ていくと、すでに現在の日本には「標準」と
 する家族像は存在しない。

 そしてコミュニティという言葉も死語になるのではないか?と
 いう勢いで、個人個人がバラバラになった感があった。

 と、ここへ来て「コミュニティカフェ」である。しかも全国連
 絡会まで存在している。

 人間関係は濃くなるほどに薄くしたい方向に動き、薄くなるほ
 どに濃さを求めるということかもしれない。

 但し、大家族・家長制度への回帰は恐らくない。あるのは、新
 たなコミュニティの形成方法=たとえばコミュニティカフェ。

 ほぼ同じ目的を持った人同士が緩やかに繋がる感じ。でも繋が
 り過ぎない感じ。なのだと思う。

 京都市内の鴨川河川敷でも毎月第4日曜日に無目的な人が自然
 に集まってくる場所がある。と数週間前の京都新聞に掲載され
 ていた。コミュニティリバーサイドである。(そんな言葉はない)

 コミュニティカフェレベルであれば、建築が入る余地がある。
 が、河川敷までいってしまうと、そこに建築はない。ただ場所
 があるのみである。

 でも。そんな「場所」はひょっとしたら設計できるかもしれな
 い。人と人とを繋げる場所。人と人とが繋がる場所。そんな場
 所が設計できたら素敵である。

 それならば4.5帖であっても、許せるか?

 山本理顕氏たちが書かれた「地域社会圏主義」という本を読ん
 で思ったことである。と同時に、厳しい条件下での2世帯住宅
 を設計していて思ったことでもある。。

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■編集後記

 2世帯住宅を設計するとき、家族同士の距離感が難しいなぁと

 思います。どれ位仲が良い家族なのか。どれ位プライバシーを
 
 重視した方が良い家族なのか。会って数回の内は、お施主様も

 なかなか本音を語って下さいませんので、ますますもって難し

 いわけです。

 それでも提案をしなければ前に進みませんので、あれやこれや

 と想像しながら、設計を進めます。

 2世帯住宅に限らず「一般解」などはないのですが、「特殊解」

 ではない、「普遍解」を多く積み上げていきたいと常々思って

 おります。家族の人数に左右されない「普遍解」を拾い集めて

 いる最中です。
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 狭すぎると哀しい。
 広すぎると寂しい。

コラム | by muranishi | comments(0)

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